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ナムジャイブログ
泰国春秋 第十一回 ミャンマーの至宝

2009年11月10日

ミャンマーの至宝

ジャーナリストという職業は、あらゆるところに行けるチャンスがある、と思って筆者はこの仕事を選んだところがあるが、世界にはこの業種を極端に嫌う国があり、一般人以上に入れないのが、なかなかつらい。
タイの隣国、ミャンマーも、現在はそういう国である。
この国には都合3回入国したが、そのうち2回はタイ最北端のメーサイから日帰りでタチレクに、またその近くにある「ゴールデントライアングル」(タイ、ラオス、ミャンマーの3カ国国境が交わる付近)のチェンセンからメコン川の対岸にあるタイ資本のカジノに3時間入っただけである。これらは入国してもミャンマーの輪郭を嘗めるだけの小旅行なのでジャーナリストでも大丈夫だったのだろうが、最大都市ヤンゴンなどから取材のために入ろうとすると査証(ビザ)が滅多に出ないのである。
まともに入国できたのは2007年3月27日の国軍記念日に際して、軍事政権が実質2005年に遷都した新首都ネピドーへ外国人記者を「招待」したときだ。初訪問で、航空便が利用できないため旧首都のヤンゴンから北へ400キロメートルにあるネピドーまで昭和50年代製の日産サニーで片道約10時間かけてノロノロと移動した。
2時間も走ると道路はデコボコになり、未舗装部分も多く、道路沿いに建つアバラ家や、床がなく土の上に商品を並べる店の様子から貧しさが伝わってくる。車はデコボコ道のため時速40キロ以上は出せないうえ、エアコンを動かすとパワー不足で時速20キロに減速する。幹線道だが街灯や道路灯はなく、暗闇の中を走っていると目の前に藁を山と積んだ牛車が突如として現れたりして、なかなかスリリングだ。到着した首都にはヤンゴンから移転した省庁の建物や公務員が住む小ぎれいなアパートが立ち並んでいるが、あちこちがまだ工事中で殺風景。「人造都市」という言葉が浮かんでくる。
それに比べると、同国最大の都市であるヤンゴンの街並みの美しさは抜きんでている。建物は古く、貧しい家屋も多く、喧噪はバンコク級だが、背の高い豊かな街路樹に囲まれて優雅な面もちだ。同じ英国の植民地だったシンガポールの街を、50年前で時間を止めたままにしたら、こんな感じだったかもしれない。昼はとてもゆったりした気分で歩ける街なのだ(夜は電気がないため暗く、発電機から出る排ガスで息苦しいが)。
その中心部に立つ寺院「シュエダゴン・パゴダ」は、社寺仏閣が好きな筆者にとっては「ミャンマーの至宝」と言いたい素晴らしさだった。中心部にそびえ立つパゴダ(仏塔)の高さは台座から約100メートル(326フィート)。その周りに大小の塔や祠が数百あり、中には金色や乳白色の仏陀像が微笑みをたたえて鎮座ましましている。
多くの人が白い大理石でできた床に座り、仏像や自分が生まれた曜日を司る神像に熱心に祈っている。いや、心を落ち着けて深い呼吸に集中しながら祈っているので、瞑想していると言った方が良いのだという。院内は靴と靴下を脱いで素足で歩かねばならない。暑季の日差しが照りつけた石の床は焼けるように熱くなり、慣れていない筆者は「アチアチ」と小さく叫びながらピョコピョコと歩くので顰蹙を買ってもおかしくないが、だれも咎めず笑みをたたえている。市内各所から見える金のパゴダの足元には、安寧の祈りの場が広がっていた。
そんな場に集まった僧侶や市民を軍事政権が武力弾圧したのが、昨年9月26日。観光ビザで入国していたジャーナリストの長井健司氏は翌27日、その銃弾にれた。その場に花をたむけることもできないまま、まもなく1年が過ぎようとしている。


三河正久(みかわ・ただひさ)日本経済新聞社バンコク支局長
1967年5月青森県八戸市生まれ。1992年日本経済新聞社入社。同社産業部や『日経ビジネス』編集部で企業取材を担当。2007年3月から現職。共著に『ゴーンが挑む7つの病|日産の企業改革』『トヨタはどこまで強いのか』など。ミャンマーでの食事は、使うスプーンを卓上にあるトイレットペーパーで拭かねばならない面倒はあるが、素朴でうまかった。
Posted by Webスタッフ at 15:48