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ナムジャイブログ
泰国春秋 第二十二回 タイゆえの罪悪感

2009年12月01日

タイゆえの罪悪感

先日、某ゴルフ場にてラウンド前にトイレに入った。「個室」、に駆け込んでドアを閉めると、タイ語と英語で「使用後の紙はトイレに流さずゴミ箱に」と書いてある。その下に、手書きの英語で一言。
「紙を箱に入れるトイレは大嫌いだ、YOU FU*K」(伏せ字は筆者)
大いにうなずいた。英語で書いてあることから恐らく西洋方面の人による文句だろうが、ほとんどの日本人も同感ではないだろうか。
拭いた後の紙を、なぜワザワザ別に捨てるのか。まあ水洗トイレが詰まってしまうと極めて悲惨になろうことは分かるのだが、個人的には解せない。なんのための水洗トイレなのかと。
こんなことは誰とも面と向かって話したことがないので分からないが、本当のところは皆さん、どうしているのか聞いてみたいものだ。ちなみに、筆者は「スマンスマン」とこっそり呟きつつ、最初の一拭きは水中投下してしまうことが、ままあります。いや毎回ではありません。いやホントに。
というのも、アレをゴミ箱に捨てるのは、とても強い抵抗感というか、「罪悪」とまで感じてしまうのである。犯罪を犯してしまったら感じるであろう、ベットリとした後悔。せっかくの事後のスッキリ感を台無しにしてしまう破壊力がある。
ゴミを捨てる際にも同じような感覚を味わう。タイでは、あまりにも何も分別しないでゴミを捨てる。これぞ文字通り「無分別」な行為ではないのか。バンコク赴任前に筆者が住んでいた東京都M市では、ゴミが大きく分けて「燃やす」「燃やさない」「有害」など5種類、資源ゴミが「ペットボトル「その他プラスチック」「ビン・缶」など5種類あり、出し方も結構細く規定されていた。確かに面倒くさいが、日本人なら慣れるとトコトンまで奇麗に分別する「オタクぶり」を発揮するほどに鍛えられる。
バンコクに赴任当初、オフィスで秘書に「使い終わった乾電池は、どこに捨てるの?」と聞くと、しばしキョトンとした後、普通にゴミ箱を指さすので「おいおい、いいのかよ」と思ってしまったことがある。M市ならスプレー缶や体温計などと同じ「有害ゴミ」である。そんなのを捨てた日には「103号室の三河さんは分別せずに捨てていました」とゴミ捨て場に大書して晒されかねない。江戸時代なら市中引き回しくらいの刑に相当するのだ(大げさか)。
舗道を走ったり、進行方向を逆走したりするバイクやクルマにも慣れない。何か、越えてはいけない一線を越えてしまったヒトを見た気になる。中国関連のニュースを扱う「サーチナ」というインターネットサイトで先日、「100キロの渋滞でも道路を逆走しない日本人は、恐ろしい民族だ!」と中国人が書いたブログを紹介していて逆に「そっちが恐ろしいわ!」と思ったが、タイ人の秩序感覚も日本人とまったく違うことを改めて感じる。
人間は何にでも慣れる生き物だとよく言われるが、日本の社会をスムーズに動かしている秩序や衛生の感覚から外れる行為は、いつまでたっても鼻につく感じが抜けない。その度に〝犯罪〟に慣れて染まって闇に墜ちていく自分は、もう戻れないかもしれない—。なんてことをトイレから出るまでの5分間に考えてしまった。ゴルフのスコアが散々だったのも、このタイならではの罪悪感のせいだったに違いない…(各方面からツッコミがありそうだ)。


三河正久(みかわ・ただひさ)日本経済新聞社バンコク支局長
1967年5月青森県八戸市生まれ。1992年日本経済新聞社入社。同社産業部や『日経ビジネス』編集部で企業取材を担当。2007年3月から現職。共著に『ゴーンが挑む7つの病|日産の企業改革』『トヨタはどこまで強いのか』など。ゴルフ、うまくなりたいものです。だがボールを打とうとする瞬間、「呪(しゅ)」がかかったように体がスムーズに動かなくなり、打ったボールはフェアウエイを守る何者かに弾かれるように違う方向に飛んでいきます。不思議なスポーツです。
Posted by Webスタッフ at 00:00