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ナムジャイブログ
泰国春秋 第二十一回 トルコ商人道

2009年11月28日

トルコ商人道

タイ人は商売が上手いか、と聞かれると答えは「否」だと思う。もちろん実業界で成功した金持ちは多いが、一般には店先で、やる気がないというか覇気が伝わってこない店員が多い気がする。
よくある光景だが、先日、プロンポン駅近くの某高級百貨店にカメラ用の三脚を買いに行った。店先で対応したのは例によって、やる気なさげなニューハーフ店員。カウンターの隅っこに置いてあるホコリをかぶった三脚をテキトーに取り出し、面倒くさそうに「これにしなさいよ」と薦める。別なのを見せてくれと言うと煩わしそうにし、他の店員とおしゃべりを始めた。
「じゃ最初のでいいや。展示品じゃなくて新しいのない?」「…ない」。ならばと「ホコリで汚れているし、1800バーツを1500にしてくれ。安くしなけりゃヨソで買う」と言うと、彼女(彼?)の目の色が変わった。その場を去って探すこと5分間、同じモデルの新品箱入りを持ってきた。「探せばあるじゃないか」と不平を言うと、平然と「1800バーツ、カー」だと。なんかやるせない。
民族性の違いと言えばそれまでだが、もっと上手く出来ないものか。世界にはもっと巧者がいる。後で「どうも騙されたかも」と悟るのだが、買った時点では「非常に良い買い物をした」と思わせるテクニックを持つ商人がいるのだ。
トルコ人がまさにそうだ。筆者はカネがないくせに、イスタンブールに行くと絨毯を買ってしまう。絶対に買わないと思っていても、店を出る時にはワキに丸めた絨毯を抱えているのだ。不思議で仕方がない。
招き入れた店内でチャイ(トルコ紅茶)を振る舞うのは当たり前。これくらいでは何の恩義も感じない。店によっては棚に丸めてある絨毯を次から次へと何枚も、あらゆる種類を広げて日本人客の「申し訳ない心」を突いてくるが、これも「絨毯屋とは、そういうもんだ」と思えば何とかしのげる。
もっと巧みなのだ。最初に買った店では「大学で絨毯学の講義をしている」という店主がいた。チャイを飲みながら、まずはレクチャーが始まる。トルコでは「昔、若い娘は自分で織った絨毯を持参して他家に嫁いだ」と言い、「ここの縁を彩る水色の唐草的な文様は〝ウオーターライン〟と言ってね、水=生命とお金がいつまでも豊かで、平和な家庭が続くようにとの願いでデザインしたんだ」などと柄・文様の意味を教えてくれる。別の一枚を広げて「ここに人の形を織っているだろ、これは『本当は別に好きな人がいる』という意味だ。イスラム世界では非常に珍しく、とても貴重な絨毯なんだ」——。
1時間、2時間と聞いていると、だんだん自分でも絨毯の目利きができるようになった気になる。そのタイミングで店主は「これは珍しい柄だ。君なら価値が分かるだろう。でも特別に500ドルにしてあげるよ」と持ちかけるのだ。誰が断れようか。
別の店でも、この「自尊心くすぐり系」が非常に巧みで買ってしまった。常に2枚同時に広げ、どっちが好きかではなく「どちらの柄が優れている?」と聞くのだ。こっち、と右を指さすと、「さすがは長い歴史を持つ日本人だ。分かっている。ちなみにアメリカ人はみんな左を好む。ヤツらは歴史が浅くて分からんのだ」的な畳みかけ方をしてくる。これも2時間近くやると目利きになったと勘違い。最後に「おお! さすがは日本人。トルコ人の心をよく理解している。友よ、君にはこの価値のある絨毯を特別価格で売らせてくれ」となる。…だ、誰が断れようか。
ちなみにこの時は、良い買い物をした満足感でメシまで奢ってしまったのだから、我ながら情けないほど「良きツーリスト」だと思う。
タイ人もこれくらいの「技」があればとも思うが、想像すると一段と疲れた生活になりそうで、なんかイヤだ。でももう少し愛想良くできないものか。タイを「微笑みの国」だなんて思っているのは、ほんと今や「良きツーリスト」くらいなものなのだから。


三河正久(みかわ・ただひさ)日本経済新聞社バンコク支局長
1967年5月青森県八戸市生まれ。1992年日本経済新聞社入社。同社産業部や『日経ビジネス』編集部で企業取材を担当。2007年3月から現職。共著に『ゴーンが挑む7つの病|日産の企業改革』『トヨタはどこまで強いのか』など。タイ人の本質は「自己保身」だと喝破した学者がいる。常に逃げ道を用意できるのが特技なのだと。ゆえに帝国主義時代も独立を保った。ワイ(合掌)して見事に微笑む裏には…と考えてしまうようになった。危ないかも。
Posted by Webスタッフ at 17:56