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ナムジャイブログ
泰国春秋 第二十七回  タイ・マジック

2010年02月16日

タイ・マジック

「タイ・マジック」という言葉を初めて聞いたのは、バンコクへの赴任直後だから3年も前になる。盤国日本人商工会議所での会議前の雑談だった。2006年9月28日のスワンナプーム空港(新バンコク国際空港)の開港に立ち会った航空会社のA氏が言う。
「あす開港という日に、準備の仕上げに空港に行ったんですよ。夜帰ろうと免税店の前を通ったら、棚に何も並んでいないどころか、棚がない店もある。荷物は箱に入ったまま、うずたかく積まれている。こんな状態で本当に開港できるのか…と本気で不安になりましたが、翌朝行くとキチンと形が整っている。普通に商売できる状態になっている。これぞタイ・マジックだと思いましたね」
なんでも100人余りが徹夜して間に合わせたらしい。筆者自身は見ていないので確かなことは分からないが、あの広大な免税店全部がそのような危機的状態から正常化したのなら、その「間に合わせパワー」は凄いと言わねばなるまい。
つくづくタイ人って段取りが苦手だと思う。1月8—10日にチョンブリ県アマタスプリングCCで開かれた、欧州選抜対アジア選抜のゴルフ対抗戦「ザ・ロイヤル・トロフィー」でも泣かされた。プレス(報道関係者)登録を済ませていた。そのプレス・パスを取りに事務所まで行こうとすると入り口で警備のタイ人に「パスがない人は入れない」と遮断された。いや、だから、それを取りに行くんだってば。だが頑として受け付けないのである。
普通は入り口付近にプレス対応担当者がいてパスを発給するのが当たり前だが、そういう配慮は皆無である。仕方なく関係者に電話で事情を説明し、対応してもらう。「では私がすぐに迎えに行く」と言われて待ったが現れない。時間は刻々と過ぎ、とうとう石川遼選手がティーオフして競技が始まってしまった。業を煮やして、始まった競技を警備員が見に行ったスキに忍び込み、ようやく事務所に辿り着いてパスを入手した。この虚しい苦闘感は何だろうな。
その今年の大会で統括ディレクターを務めた日本ゴルフツアー機構(JGTO)の山中博史専務理事が、日経新聞のウェブサイトに内幕を書いていた。大会開始まで3週間という昨年12月半ばに、開催コースと契約の件でもめて、「大会を延期・中止しなくてはならないかも」と言われたそうである。以下、引用する。
「さすがに私もひっくり返りました。選手も決まり、手配関係も全て終了した矢先です。クリスマス気分もどこへやら。『冗談じゃない。どんなことがあっても開催するんだ。何が問題なんだ!』私も電話口で怒鳴ってしまいました。そこから3日間、何回も電話会議をしました。 最終的には問題は解決、予定通り開催することが出来ましたが『もし延期や中止になっていたら』と思うと、今でも冷や汗が出てきます」
ほかにも乾期には稀な今年の雨や高温でラフが背高く伸び、ボールが入り込んだら見えない状態なのだが、コース関係者は「プロの試合なのに、ラフが深くて何が悪いの?」という対応だったという。大会前日も激しい雷雨でコースが洪水状態に。試合ができるか不安で夜も眠れぬ山中専務理事だったが、翌朝コースに出てみるとコース関係者総勢60人が早朝4時から修復作業に乗り出し、プレーできる状態になっていたそうである。
「ノンビリしているイメージのあるタイの人たちですが、この時のパワーと熱意には正直心を打たれました」と同氏は書いている(NIKKEI・NETの日経ゴルフガイドにある「ロイヤル・トロフィーで痛感、ツアー国際化の意味」参照)。
これもタイ・マジックだろう。ただ、その熱意がなぜ準備や段取りの段階から働かないのかが不思議である。—といいつつ筆者もこの原稿を、きょう書かなきゃ掲載できないという締め切りギリギリ間際に書いている。あと30分で娘の通う幼稚園の運動会に行かねばならない。タイ人化してきたのか、もともとの性格がタイ的なのか…。あまり深く考えないことにしている。

三河正久(みかわ・ただひさ)日本経済新聞社バンコク支局長
1967年青森県生まれ。2007年3月から現職。共著に『ゴーンが挑む7つの病—日産の企業改革』『トヨタはどこまで強いのか』など。締め切りを守るのが当たり前の職場で、スロー・スターターというか仕掛かりの遅い筆者の行動様式は、なかなかキツイ。この歳では、もう直らないかもしれない。直す気あるのか?
Posted by Webスタッフ at 23:49