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ナムジャイブログ
泰国春秋 第二十八回  ハレのタイ

2010年03月16日

ハレのタイ

「ハレとケ」について学んだのは中学のころだったか。ハレ(晴れ)とは祭りや儀礼、特別行事などの非日常、ケ(褻)とは普段の生活、日常を指す。日本の民俗学を開拓した柳田國男が発見した日本の伝統的な世界観だ。筆者も含めて日本人って本当に「ハレとケ」を意識することなく分けて考える民族だと思う。
3年余りの任期を終えて4月、筆者は帰国することになった。正直なところ憂うつである。東京本社の古巣に戻り、自らは取材に出歩くことの少ない「デスク」という仕事をする。机に一日中かじりついているからデスクだという。記者の書いた原稿に手を入れ、紙面化するエディターである。新聞社に記者として長く勤めると誰もが通る道とはいえ、動き回っていないと死んでしまう鰹鮪類(カツオ・マグロ的)な筆者にとって、手足を縛られた感が強くて我慢ならない。
つまりはケ=日常に戻るのだ。ケは「褻」という漢字のほか、万葉仮名では「食」「笥」「日」などをあてたという。笥とは食物を入れる器のことで、食べ続ける日々の暮らしがケなのだ。
とするなら、バンコクでの駐在生活は、人生の時間軸でいえばハレの時だったと言えるかもしれない。ハレとは結婚式などの「晴れの日」や、「晴れ着」「晴れ舞台」などの言葉に残る。非日常、つまり一種のお祭り状態だ。バンコクで暮らす日常はあれど、筆者の思いはずーっと晴れっぱなし、連続する躁状態の日々だった。1日の中でも朝から夕方まではケなのだが、夜のとばりが降り始めると心は次第にハレやかに。本当にこの性質だけは如何ともし難い。
原稿を書かねばならぬ夜はケが続くわけだが、ケが続いて気分が滅入ることを「ケガレ」(褻枯れ=気枯れ)という。日常に倦んで旅に出るのも、ケからハレへの転換が必要だからだ。ハレで気を充分に取り込んでリフレッシュすることで、帰った後のケの日常が続けられる。旅行から帰ると、妻などは必ず「はー、やっぱり家が一番」と言うが、ハレの日に気を充填したからそこ、ケに戻るのが喜ばしいのだろう。
ならば東京に帰任するのは、ハレのタイで満ち満ちた気をいっぱいに日常に戻ることで喜ばしいことなのか。ま、確かにちょっとはある。筆者の勤め先は一時帰国する制度が充実していない。なのでバンコクのメシも旨いのだが、日本でもっとおいしいものが食べたい、温泉に入りたいなど、日本でやりたいことが積もるのは事実。ただ—書いていて思ったのだが、これらもすべてハレ=非日常を求めているのだなぁ。どこまでハレオトコなのかと。仕事でも大ニュースになればなるほど血が騒ぐというのは、このハレ気質に負うところが大きいのだろう。「日々ハレにしてハレを栖とす。古人も多くハレに死せるあり」。そんな松尾芭蕉の「おくのほそ道」的な気分である。
結婚式や七五三、赤ちゃんの初宮詣でなど、神社に絡むハレの行事に、日本人は正装する。筆者にとってハレのタイは、暑すぎてスーツを着ることもほとんどなかったが、ケの日常の東京に戻ったら逆に、夏のクールビズ以外はスーツを着なければならなさそうだ。なんかアベコベ感があるな。バンクーバー冬季五輪で、スノーボードの国母和宏選手が公式スーツを着崩して強い批判を浴びたが、これも「五輪という晴れ舞台になんたる格好」という日本人のハレ意識を逆なでした結果だろう。
ハレをなめてはいけない。でもケの日々を送る忍耐も大事。ということで筆者もしばらくはケの状態をしっかり過ごさなくてはならないが、なんかすぐにケガレてしまってバンコクに戻ってきそうな気がする。その時は皆様、またよろしく。


三河正久(みかわ・ただひさ)日本経済新聞社バンコク支局長
1967年青森県生まれ。2007年3月から現職。共著に『ゴーンが挑む7つの病—日産の企業改革』『トヨタはどこまで強いのか』など。イベントなどに出席すると必ず晴れる「晴れ男」でもある。ただし雨期以外。当たり前か。
Posted by Webスタッフ at 00:00